世界一贅沢な牛
Eat 15号: ラグジュアリー

この記事は2003年8月に公開されたものです。

生まれながらに松阪牛という牛がいるわけじゃない。最高の肉を作るという肥育者のプライドと技術によって、松阪牛は作られる。

サーロインやフィレなら1人前10,000円以上が当たり前という松坂牛は、言わずと知れた日本一のブランド牛。そのとろけるような霜降り肉は、ひとえに肥育者の入念なエサやりと手入れの賜物にほかならない。なにしろ極上牛肉になるその日まで、牛は一切労働なし。2食、昼寝、マッサージつきという牛舎の個室での生活は、たとえるならば“良家に養子に入った箱入り娘”だ。

松阪牛とは、生後8〜10カ月の但馬牛を、雲出川から宮川にかけての松阪市周辺で3年かけて肥育した、未経産(すべて処女!)の牛を指す。行き届いた飼育管理、味のすばらしさで「肉の芸術品」と呼ばれている。

まずはエサについて。素人のイメージでは、牛のエサといえばビタミン豊富な牧草だが、3代続く松阪牛の肥育者、森本武治さんいわく、「買い取って3カ月を過ぎた牛は、最小限のビタミンで肥育するんです」とのこと。また、大麦や大豆に加え、反芻しにくい配合飼料もよく消化するよう、牧草の代わりに欠かさず与えるのが稲藁だ。「よい稲藁を食べれば食べるほど、いい肉になりますね」。

また、普通の肉牛が1年半から2年で肥育されるのに対し、松阪牛の肥育期間は3年。じわじわと太らせ、あと一歩の皮下脂肪を乗せていくため、食欲の秋にはビールも飲ませる。「消化を促して肉質をよくするためなんです。夏の暑い盛りに落ちた食欲が、秋になると回復するのは人間も牛も一緒。夕方に大瓶を1本、晩酌みたいなものです」。

森本武治:松阪牛発祥の地、飯南町深野で、祖父の代から3 代続く松阪牛の肥育者。

加えて肌の血行をよくして皮下脂肪を均一につけるためのマッサージも欠かさない。牛は自分じゃ痒いところも掻けないですからと森本さんは言うが、放牧できる平地がないため日光浴の時間以外、牛舎の個室で1日を過ごす牛たちは、まさに至れり尽くせり状態。焼酎を使った全身マッサージを受けるちずこ(3歳)の眼は、見る間にうつろになっていった。

松阪牛の発祥地、飯南町深野は見事な棚田が広がる山間の地。山から湧き出る岩清水、そして温暖な気候風土。そんな牛にとって理想的な成育条件に加え、肥育者の技術、プライドと牛への愛情が結晶してはじめて、牛たちは松阪牛へと進化する。

文/ 塚田恭子 写真/ 古里司