豚のいる暮らし
Eat 10号: 豚

この記事は2002年4月に公開されたものです。

豚の存在は、日々の生活にどんな変化を与えてくれるのだろう。スペインで豚を飼育している著者が、豚との暮らしにまつわるさまざまな出来事を1年の流れにそって紹介してくれた。

1月

屠畜を終えてほっとひと息ついている真冬のこの時期、豚を飼う人たちは満ちたりた気持ちにひたりながら、手間のかかる作業に精を出す。まず最初の作業がラード作り。屠畜のときに出た脂肪分の多いクズ肉をひとつ残らず大きなアルミ鍋に入れて、極弱火で午前中いっぱい温めていると、肉塊から透明な液体がにじみ出てくる。これを冷ませば、真珠のように白く輝くクリームのできあがりだ。いまどきラードほどはやらない油脂もないけれど、初物のソラマメとベーコンの蒸し煮や卵の両面焼きなどに適度に使う分には、これは最高の食材のひとつだと僕は思っている。

朝8時。その日がやってきた。豚を小屋から出すのに隣人たちが手を貸してくれ、マタンチェロとよばれる屠畜屋(一番右の男)が脇に控える。著者はサングラスに黒のシャツという、この日のためのいでたち。

2月

うっかりしていると冷凍庫に50キロの豚肉が眠っていることをすぐ忘れてしまう。あいかわらず寒い日が続き、身体が肉を欲しているいまこそ、どんどん食べなければ……。この時期わが家のキッチンは好物料理のオンパレード。アップル風味のポークチョップ、わき腹肉と新タマネギのジンジャー炒め、豚肉とザワークラウトの煮込み、スペアリブのバーベキュー、作りたてチョリソのピクニック風直火焼き。だが、豚の万能ぶりを示す究極の証しといえば、腐りかけたベーコンの脂で作る石鹸だろう。インターネットでその方法を見つけた石鹸作りは、他の田舎仕事と同じく、思ったよりずっと簡単だ。おもな材料は油脂(オリーブ油を使う人もいるけれど、豚の脂で作ったほうができはいい)、苛性ソーダ、グリセリン、香料。そして時間もたっぷり必要だ。何しろ石鹸作りは一日がかりの作業なのだ。

3月

春の大掃除。空になった豚小屋を片づけよう。あまり愉快なことではないけれど、これはきちんとやっておくべき仕事だ。糞尿にワラを混ぜて積んでおけば、トマト、ピーマン、ナス、ズッキーニといった夏野菜の苗と一緒にいつでも畑に埋められる。

小屋が輝くばかりにきれいになれば、いつ次の入居者がやって来ても大丈夫だ。豚を1匹飼うことは、長期滞在型の小さいホテルを経営するのに似ていると思う。違うのはあの有名なローチ・モーテル(ゴキブリホイホイ)と同じように、チェックインした客がチェックアウトしないことだろうか。

山の斜面の野菜畑に植わっているのはレタスやアーモンドの木だ。

4月

さあ、いよいよ次の入居者、優に10キロはある中ヨークシャー種のミドルホワイトの到着だ。といっても母親のもとを離れてまだ間もない子豚は、餌箱にすっぽり入り込んでしまうほど小さい。初めは神経過敏になっていて、少しでも人の気配がすると隅っこに引っ込んでしまうが、2、3日もすれば、僕がそばにしゃがんで耳のうしろを掻いてやっても嫌がらなくなる。物覚えの早い豚は、丸1日経たないうちに寝る場所がどこで備えつけのトイレがどこにあるのか覚えてしまう。いくらかわいくても名前をつけないのは、そのほうが僕には都合がいいからだ。せいぜい「コブタちゃん」(略して「ブーちゃん」)と呼ぶ程度にとどめている。

5月

餌について、世間でよく言われていることはすべて事実だ。彼らは柑橘類とタマネギ類以外はほとんど何でも食べる。もちろん、だからといって何でも食べさせていいわけではない。野生の豚も食べているカタツムリやジューシーな地虫くらいはたまにごちそうしてあげるけれど、基本的にうちの豚には肉をやっていない。わが家の豚の典型的な朝食は、古くなったパン、茹でたジャガイモの皮、自家製トウモロコシ、卵の殻と全卵1、2個、キャベツの葉、傷んだリンゴや熟れすぎたナシ、古い牛乳、その他の残り物、これを全部グシャグシャにつぶし、少量の大麦粉とぬるま湯を加えた粗いミューズリーに混ぜたもの。僕が自分で食べてもいいと思うほどだ。

豚を1匹飼うことは、長期滞在型の小さいホテルを経営するようなものだ。

6月

何かがあり余って困るとき、豚はじつに頼りになる。腐りかけた500キロのアンズを、ほかにどうやって処分できるだろう?アンズ以外にもこの辺りではプラムやサクランボ、秋にはイチジクやリンゴがたくさん実る。この近所にはモモ園で豚を放し飼いにしている人もいるが、彼の作るハムがすこぶるうまいのも当然だろう。

7月

気温がぐんと高くなる。夏のスペインでは、肌がピンク色で暑さに弱い人も豚も、1日の大半を日陰でだらだらと過ごす。それでも豚小屋にはシュロの葉で作った格納式サンルーフがあるから、午後には陰になったテラスでうたた寝できる。夕方の涼しい時間帯には、時どき庭の散水ホースでブーちゃんにシャワーを浴びさせてやる。彼女は水着美人よろしく黄色い声を上げながら小屋の周りをうれしそうに駆けまわり、そのあとひとしきり土掘りに没頭する。

血を抜く。あばれる豚を押さえるには最低5人が必要(四肢と尾)。凝固を防ぐために、手で血をかきまぜる。

8月

この時期のキッチンは、ガスパチョやラタトゥイユなど夏野菜料理が中心なので、残飯バケツにもトマトやキュウリの皮、ナスやピーマンの切りくずがたまる。夏の終わりが近づいて誰もがズッキーニに嫌気がさす頃には、丸のままのズッキーニが大量にブーちゃんのもとへ流れる。彼女はそれをまるでM&Mのチョコバーみたいにガツガツと食べる。

9月

最後の審判までわずか数カ月。すっかり大きくなったブーちゃんは、さらに成長を続ける。初め10キロだった体重は、すでに100キロを越えている。めざましい効率で目方を増やすことは豚という家畜の大きな魅力だが、もう1つの利点は面倒な管理がいらないということ。豚は本来きちんと世話をすればめったに病気はしない。病気の原因は、工業的な食肉生産方法による窮屈な環境、ストレス、栄養不足くらいのもの。新鮮な空気と運動、たっぷりのおいしい食べ物、きれいな水、それから虫下しのために時どき餌のなかにしのばせるつぶしたニンニクさえあれば、彼らは幸せに暮らせるのだ。

チョリソ用の肉をひく作業。ガレージに架台式のテーブルを組み立てて、ひとりがハンドルをまわし、他のひとりがひいた肉をまとめていく。古くからの手動式ひき肉器が一番。

10月

家畜を囲う石塀の上に、巨大なコルク樫が枝を広げている。地面に落ちたドングリを、豚は貪欲に食い尽くす。栄養満点の自然餌ドングリが芳醇な香りと繊細な食感の極上ハムをもたらす“セルド・イベリコ・デ・ベジョータ”は、スペイン産の豚のなかでももっとも評価が高い。黒足の最高級豚セルド・イベリコは、生涯最後の2、3カ月はドングリばかり食べている。でも、うちの落ちこぼれの豚たちにすれば、ドングリは天から降ってくる贅沢品にほかならない。

11月

スペインで豚の屠畜シーズンの始まりを告げるのは、11月11日の聖マルティヌス祭。「聖マルティヌスはすべての豚を迎えに来る」というスペインのことわざは、つまり「誰もがいつかは殺される」ということだ。豚たちが最後の2、3キロを蓄えるあいだに、飼い主は大事なその日に向けてひそかに準備を整える。チョリソ用のパプリカ数キロ、たくさんの粗塩、ブラックペッパーなどスパイスを挽いたもの、たっぷりのニンニク。ナイフ類はゾッとするほど鋭く研ぎ上げておく。屠畜はできれば、下弦の月に見守られながら行なうといい(昔から、上弦の月は気持ちを高ぶらせるため肉が台なしになりかねない、と信じられている)。屠畜業者を手配し、友人たちを手伝いに駆り出す。たくさんの人手がなければ屠畜などできやしないのだ。

豚の解体は、できれば下弦の月に見守られながら行なうのがいい。

12月

しかるべき処刑の例にもれず、屠畜は明け方に行なわれる。濃いコーヒーと煙草と強い酒が、その場の雰囲気をさらに盛り上げる。小屋からノソノソと出てきた豚は、頭を銃で撃たれ、その場に倒れ込む。痙攣する体を力ずくで押さえつけて頸静脈を切り、勢いよく流れ出る血を受けとめる。血まみれの1日の、もっとも血なまぐさい瞬間だ。でも僕は、生きたままのどをかき切る旧来の方法より、このほうがいいと思う。お察しの通り、いきり立った150キロの豚をじっとさせておくのは至難の業だ。おまけに豚は死に物狂いで悲鳴を上げる。すべてが終わり、大きな安堵感が訪れたあと、奇妙なことが起きる。1年近くにわたって手塩にかけて育ててきた生き物が、目の前で巨大な肉塊へと変わっていくのだ。僕は無限の料理の可能性を手にするとともに、膨大な作業を要求されることになる。手の込んだ作業は極力避けたいのだが、ソーセージを作ろうと思えば腸を取り出して、きれいに洗わなくてはいけない。これだけでも大仕事なのに、ほかにもも(後脚)と肩2つ、背骨の下に太い管状に伸びているロースとサーロイン、パンセタ(ばら)、バーベキュー用のスペアリブなど、一匹の豚から採ることができる肉は大量だ。骨は塩漬けにして保存する。大きな銅鍋で頭を丸ごと茹でたあと、耳、ほお、鼻などを細かく刻み、スパイス類を混ぜて皮に詰め、数週間重石をしてから冷たいまま薄く切って食べる。紛らわしいことに、この珍味は “カベーサ・デ・ハバリ” 、「猪の頭」という。余った肉はすべて、チョリソ、血を使った黒いソーセージ “モルシージャ”、ポロネギとセージ入りのイギリス風ソーセージなどと化す。

コブタちゃんの非業の死を悲しいと思うかと聞かれれば、もちろん悲しい。ほんの少しだけど。それでも冬が過ぎて春になり、冷凍庫の中身がだんだん寂しくなるにつれ、僕は彼女の生まれ変わりが姿を現してくれる日をいまかいまかと待ちわびるようになる。空っぽの豚小屋の外に残る血痕も、じきに雨が洗い流してくれる。

屠畜のあとは酒の神、ディオニュソスが訪れる。樹齢500年のオリーブの木の陰で、ポロンとよばれるガラスのカラフェからワインを飲む酔っぱらいたち。

文/ポール・リチャードソン 写真/ジェイソン・ロウ